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演奏者として、良い演奏をすること、スコアを読むこと [演奏]

(この文章は、2017年9月末にTwitterでつぶやいたことをまとめたものです)

1.何がいけないの?

 そうか、たいていの人は、譜面もらって、音さらって、曲を覚えて、指示に従う、で本番迎えてしまうのね? ゴールがそこぢゃ良い演奏なんて期待できないし、毎回同じことの繰り返し。おいらは、知らない曲なら、まずスコア読んで、色々な演奏聴いて曲を覚える。それから表現できる運指考えます。

 ポイントはスコアの有無かも。最初から自分の役割がわからなければ、どう表現すべきかわからないよね。音だしてから考えるのは、スタートから間違ってます。新曲でもまったく同じ。考えてから音を出さないと。これ、必ず試験に出ますw

 なんとなく曲を知ってるから、すぐに楽器を抱えてパート譜見て音出して、白丸など単純な音符はつまらないから、弾きにくそうなところだけさらって練習した気になって、いつまでたっても表現は指示待ち族。初見でもないのに#や♭落としまくり。ホルンみたいな音ってなんだよ、何お嬢様終わりって?ってなってしまう。おいらからすれば、最初から徹底的にスコア読めです。

 でもね、スコアをどう読んだら良いか、わからない人が大半みたい。今回はこのスコアの読み方がテーマです。


2.自分が目指すべき音楽を知らない、説明できない

 良い音楽、目指すべき音楽、やりたい音楽を明確にした上で、音楽の3要素(メロディ、リズム、ハーモニー)のそれぞれをどうすべきかを丁寧に表現する。メロディをどう演奏することが良いことなのか、ダメな演奏はどのようなものか? 何が悪いのか。これをリズム、和声でも同様にやる。そのためには、スコアのどこをどう読めば良いか、ロジカルに知らなければいけません。

 スコアを読むといっても、楽譜の絵面をビジュアルに読む、マーキングする、頭の中で音を鳴らす、スコアを読みながら音源を聴く、拍を数えながら聴く、エア指揮をしてみる、モチーフや和声を分析しながら読む、エディションの違いを比べてみる、ピアノで音を出しながら読む等々、いろいろ方法論はありますね。

 素人集団が年に一度の演奏会を行うというフォーマットに限定してだけど、目指すべき音楽ってぢつはあまり真剣に考えられていないのかもしれません。常設オケとすると、師匠のささ氏などは作曲家が本当に表現したかったことの再現、それを通じて作品の別の側面の魅力を打ち出せたらだし、ひよかん先生などは客席埋めるのが基準。おいらは、作品の持つ本質を自分が理解した範囲で忠実に表現したいかな。

 おいらとしては、結果的には自己満足でしかないのかもしれないな。ただ、良い音楽は人それぞれかもしれないけど、間違った音楽は定義できるし、巷に溢れてると思います。それだけは自分ではやりたくないんだよな。時間と技術という制約の中で、何を一番間違えちゃいけないかということが次のお題。

 あ、スコア読むって、音楽を黙読することなのね。楽器を弾くのは朗読。そりゃ黙読して理解しなけりゃ、ちゃんと朗読はできないわな。楽譜を読める人は、楽譜を黙読しないと。しない人は本が嫌いなのかな? ああ、でもちょっと違うかも。黙読してても、楽器鳴らした途端、音楽がすっ飛んでしまう人もいる。うまく弾けないという言い訳を残して。でも、よくよく聞いてみると、やっぱり音楽自体をどう弾いて良いかわからない、どう表現すべきかわらかないと言われてしまう。これは謎。


3.黙読のための3つのチェック

 スコアを黙読するって言ったけど、いきなり読んでも洋書みたいな感覚のはず。なので、おいらはスコアを入手したら、まずいろいろ書き込むことを推奨してます。単語の意味を行間に書くみたいにね。スコアは自分のノートなんだから、たくさんメモしなきゃ。でも、おいらの周りの人たちは、ちっともやってくれないんだよな。

 メモなんだから何を書いても良いと思うのです。音楽的な「正しい」解釈ぢゃなくても良し。ここ綺麗とか、この音好きとか。和書スコアなら解説読んでここから再現部だよとメモっても良し。でも、自分の気持ちをポエムで書いたり、似顔絵などの落書きは意味ないからね。おいらは、今シーズンのメトでは、音符の上に「ナカフクラミ」とか「お嬢様終わり」とか書いてましたよ。

 普段書くのはいろいろな記号や数字かな。このあたりはまた実例見せながら説明する予定。こうした準備をすると、スコアを読みながら音源聴く作業などが、それまでとまったく変わってくるはず。単語調べた上でリスニングしたら、耳から入ってくる音がだいぶハッキリと聞き取れるようになれるでしょ? その結果、意味がわかってくる。

 最初は黙読なので実際に音を鳴らさない、音を聴かない状態でスコアを眺めますが、思いつくままに3つのことをオススメします。そして、この3つのことについてスコアに書き込んで欲しい。知ってる曲も知らない曲も、機械的に作業ができるし、機械的に作業することが大事です。

 まずは全体感を掴む。最初と最後はとくによく読んで。どんな始まりでどんな終わり方をするのか? 曲の長さや全体の構成はどうか、クライマックスはどのあたりか?等々。提示部とかトリオとか、日本語解説読んでそれをそのまま転記しても良し、形式やモチーフを丁寧に書いても良し。この辺りといった漠然としたメモではなく、この小節、この音など、できるだけ位置関係は明確にすることがポイント。

 次に、テンポや音量、あるいは音色とかの変化を掴んで気づいたことを書き込む。とくに早い箇所はどこか? 最大音量は何か?など。ボトムやピークを機械的に探して、演奏のコントロールや練習の時間配分を最初から考えておく。これは自分のパートだけでなく、全部のパートでやるのがオススメ。オケの一員として、自分を相対化するんです。

 最後は、わからない単語、数えられないテンポ、見たことのない記号など、わからないことは必ず「?」とメモをしておいてください。楽譜の情報量なんてたかが知れてるけど、それでも必要のないことは一切書いてないのです。正直、調べるのが面倒臭い人が大半だと思いますけど、これこそが練習のはず。楽器を弾くことだけが練習ではないので。

 残念ながら、この3つだけでもちゃんとやる人ってほとんどいないと思う。みんなわかったような気で演奏してしまう。わからないことだらけなんだから、それを誤魔化さないで。合奏はその疑問を共有し、みんなで解決していくところのはず。もっともっと音楽に対して真摯に、謙虚にならないと、良い演奏は出来ないのです。

 そうそう、全体感ってとっても抽象的だけど、例えばdivが多いとか、パートが5つに分かれるとか、他パートとのtuttiがあるとか、音数が多い少ないとか、そんなことで良いんです。漠然と意識するだけでなく、それをメモという形で可視化して、常にそれを意識していれば、合奏でも耳が良くなるはず。前と同じように弾くとか、初めて出てくるぞとか。自分で問題意識を持つということがとっても大事。


4.音源を聴きながらスコアを読む

 機械的な準備が出来たら、次は頭の中で音を鳴らすでも良し、音源を聴きながらスコアを読むでも良し。おいらは、知らない曲ならば、まずはスコア見ながら音源を何度も何度も聴いて、音や作品の基礎的なイメージをインプットするかな。音源を聴くことって、演奏者の癖や解釈、録音特性等もあって間違ったことを覚えてしまうという弊害もあるんで、一つだけにせずに何種類も聴く必要があります。

 音源を聴くときに注意することは3つ。一番良くやるのは、木管、金管、打楽器、弦の別に、フレーズや休みの後の入りをグルーピングして印をつけること。これで、どの音を聴けばよいかがよく分かる。カクテルパーティ効果ね。おいらは高校のときから、これはほんとに愚直にやった。うちにあるスコアの7割くらい書き込んでると思うよ。

 次に、ベースビートを確認すること。とくに変拍子などがそうだけど、テンポが変わるところで数える基礎単位をメモします。端的に言えば、自分が指揮者になったと想定して、指揮棒を振る時の拍の数え方を考えます。4拍子でも4つでとるか分割の8つでとるかなど。無理ない範囲で最小単位で数えることを推奨。Moderatoくらいならば8分音符単位か、できれば16分音符単位としてみるなど。実際に書き込む際は、三角形やレ点みたいに図で書くことが多いし、細かく書くときは音符を××として旗で結んだり。

 そして最後は小節割りの書き込み。出版譜ではよく練習番号が付与されるけど、それを埋める小節単位での数え方のこと。JPOPやロックなどポピュラー作品は大抵4小節や8小節単位だけど、クラシックは2小節+3小節+5小節とか平気であるからね。スコアを数ページごとに概観して、旗やスラーの塊を単位としてフレーズの塊を見つけて、その塊で小節の塊を数えていく。ソナタ形式の展開部などは良くこれをするかな。

 こういうことって、パート譜だけでは絶対にわからない。指揮者はスコアをみて指示を出すんだから、奏者も同じ土俵に乗らないと効率悪いこと極りない。単打かトレモロか、A線かE線かなんて、指揮者にとっては正直どうでもいい。どういう音楽なのかを、合奏開始の前にしっかり予習することが大事。

 こうしたことは、トップだけがやれば良いことと思うならばそれまで。弾けるようになってから勉強すれば良いと思ってたらそれまで。ひよっこでも未熟者でも、自分の頭で考えて、愚直にトレーニングすることは出来るはず。半年も続ければ、聴こえてくる音が増えて、目から鱗になること間違いないです。


5.裏拍や拍を埋めて数えながらスコアを読む

 スコア見ながら音源を聴くときに、目印をつけてカクテルパーティ効果を狙うのは第一歩だし、好きな箇所を作ったり、好きな音を探すのも良し。いろいろな音源を比べてみることも必須。この辺は映像ぢゃない方が音に集中できるかも。そしてオススメは数えること。

 ぢつは最近の発見だけど、譜面読むときに、拍を数えない人がものすごく多いのね。嘘だと思うような話だけど、ほんとに数えてない。数えてても、正拍だけでなんとなくしか数えてない。なので裏拍続けられないし、音源通りのテンポ操作が自分で出来ない。奏者ならば誰でもエア指揮が出来なければなりません。これ物凄く大事。

 おいらは音源聴きながらエア指揮をすることがとっても多いけど、意識的にリズム遊びします。4拍子の曲を3拍子で数えたり、3拍子2小節を2拍3連でとったり。すると、強拍や弱拍の位置が変わるので、どこにビートがあるかをとても意識出来る。合奏で揃わない箇所も正しく数えられるようになる。

 そうそう、数える人でも数え方がおかしいことが多いかも。イチ、ニッ、サンって点で数えるよね。あまりイーチーニーイーサーンーって線や面、円で数えてくれない。指揮の打点を示すなら点で表現してもいいんだけど、演奏者がそうしてしまうと、拍がパルスになってしまって、次の予測がつかない数え方になってしまう。これでは意味がないのでくれぐれもご注意を。

 例えば藤掛さんのパストラ、2/4拍子の冒頭、正拍で数える人が大半だけど、これを16分で数えてくれない。ミミミミレレレレミミミミレレレレドドレレミミミミレレレレレレレレって。こう数えると、8小節目の低音の8分ラソファミが、ナカフクラミしがち(ンラー・ンソオオオオ・フアアアア
・ミー、、、)なのがよく分かる。

 もっと遊ぶと、16分3連でとってみる。ミミミミミミレレレレレレミミミミミミレレレレレレレドドドレレレミミミミミミレレレレレレレレレレレレ。こうすると、いかに各小節2拍目の4分をいい加減な長さで感じてるかがわかる。そういう演奏は、正直、聴いてられない。これがお嬢様終わりね。

 あれ? もしかして、これを微分したのがクボタメソッド? ま、おいらにとってのダウンアップの回転数は正確性やリズムというよりも、緊張感を打ち出すものだから、固定的なスピードはありえないんだけど、これはこれで一つの解法なのかもね。

 数える数えないで言うと、ラッタの英雄冒頭なんかも、普通に数えていくとつながらない変な演奏が多いよねw テンポ変化に必然性が感じられないで、奇を狙った小手先だけの工夫は残念だなと思ってしまいます。普遍性があって模範的な演奏がすぐに見つからず、変な演奏が大量に再生産されるのはちとつらい。


6.違いを感じたら具体的に表現すること

 曲を覚える段階では出来るだけたくさんの種類の音源を聴き、それらの違いを具体的に探すこと。テンポや雰囲気等なんとなくではなく、この小節のここのバランスが違う、このフレーズのスラーの掛かり方が違う、fの立ち上がりが違う、和声の移行方法が違う等々。

 この段階ではまだ良い悪いではなく、演奏上、どういう表現の手段があるのかという、選択肢を増やすための作業だと思って。ユニゾンのバランスは高音が聴こえるか低音主体か、ビートを打って推進力を出すのか打たないで小節線を消して推進させるか、旋律と伴奏のバランスは対等か否か、等々。

 気になった違いはどんどんスコアにメモ。音やアクセントの強弱、長さの長短、バランスの相違、crescやdimのピークと音量変化の傾き、音の立ち上がりの速さと切れる直前の減衰、等々。具体的な作品の中でこれらの違いが分からなければ、演奏者として指揮者や作品の要求に応えられるわけがない。

 おいらは、マンドリンという大抵は編曲を通じた演奏になることもあって、音源を聴くときは例えばオケ曲ならばピアノ連弾版や室内楽版など、原曲の編成とは異なる演奏を探して聴くことが多いです。ピアノ曲ならば誰かの管弦楽編曲版とか。作品やモチーフ、和声等の骨格がよく分かるのでこの聴き方はオススメです。

 残念ながら、マンドリンオリジナル作品って、他の編成への編曲がまったくないんですね。確かにクラシック作品は出版社の都合や当時のメディアの問題で、原曲通りの編成ではめったに演奏されなかった、編曲はその代替品で必要悪だったって事実もあるんでしょうけど。マンドリンオリジナル作品は、近現代に集中しているため比較的容易に譜面を入手できて音源も探せるので、作品の本質や楽器編成を超えた普遍性が、なかなか追求されないし、それを知る手段が提供されていない。ちょっと残念な状況です。


7.黙読とは記憶とスコアの音符を対応させること

 いよいよ本当の黙読。大事なことは最初から最後まで曲を通して音をならせること。ソルフェージュ出来る人は当たり前に出来ることだけど、スコアの音符を見てちゃんと頭の中でなることがスタート。最初は主旋律だけで良いので、ちゃんと追いかけて歌えること。部分部分だけではなく、曲を最後まで通して。

 ま、黙読なので、この際音程はあまり正しくなくて良し。機械的にスコアに書かれた音符を追いかけて、自分の頭の中で音のイメージを作れること。テンポはゆっくりでも可。どこから始めても、ちゃんと曲が流れるように。拍を数えてないと正しく音が流れないので、そういう場所に要注意。エア指揮推奨。

 音が鳴らなかったら、まだ曲を覚えてないことなので(もちろん、音符見て頭の中で音をならせる人は、この部分は飛ばしてください)、もう一度音源を聴いて。単純に言えば、主旋律で良いので曲を丸暗記して、その記憶とスコア上の音符とをしっかり対応させる。それが出来たら、スコアを縦横斜めに読むけど、それは次項で。

 そうそう、パート譜よりもスコアの方が物理的に優れてるところは、時間感覚が実感と近いこと。順に左から右に流れて省略がないから、曲の構成やメリハリをつかみやすいし、譜わりに余裕があるのでリズムを直感的に捉えやすい等。あまり意識しないかもしれないけど、楽譜の風景は深層心理的にとても大事なんです。パート譜で難しいリズムでも、スコアを見て、他パートと重ねてみると、なんだそういうことねって分かる部分が多いですよ。


8.あらためて良い演奏とは? 何のためにスコアを読むのか?

 さてさて、ようやく究極の課題。良い演奏のためにはスコアを読む、どう読むかまではお話しました。でも、そもそも良い演奏とはどういうものでしょう? あくまでも演奏者目線にしましょう。おいらとしては次の二つ。期待に応え期待を裏切ること、そして情報量が多いこと。これに集約されます。良く歌う、楽器が鳴っている、揃ってる、これらは目的ではなく手段です。わかってもらえますかね?

 まずは期待に応えること。音楽をやっていればわかりますが、作品にはそれ自身が持つ大きな力があり、それをそのまま表現した演奏が良い演奏です。聴き手が期待する展開、音量や音色、表情づけやリズム等々、奇を衒わずあくまでも自然に、その作曲家らしい語法で、その時代らしい表現で演奏されたものが良い演奏。基本中の基本です。

 聴き手としては、出来れば多少音楽を知っている人を想定してください。端的に言えばプロの鑑賞に耐えうるレベルです。演奏技術の稚拙さや未熟さは、プロであれば差し引いて聴いてくれるので問題なし。本質のところで、真摯に期待に応えてくれる演奏が好まれるし、繰り返しの鑑賞にも耐えられるはずです。

 その上で、この期待を上回る演奏を目指すべき。クライバーが熱狂されるのは期待以上の躍動感があるから。チェリビダッケが賞賛されるのは期待以上の美しさや繊細さ、緊張感を表現するから。聴衆は演奏会に非日常を求め、我を忘れるほどの心の揺さぶりを、心からの感動を期待してるはずです。

 とはいえ実際には、こうした聴衆をどう想定するかによって、力の入れ方が変わってしまいますね。なのでおいらはもう一つ、自分自身の判断基準として「情報量の多さ」を使います。情報量の多い演奏ってわかりますか? ありとあらゆる要素が情報量になります。音の塊が4K8Kで聴こえる感じ。解像度の高さ、明晰さだけでなく、逆にわざとぼかしているんだなってことも情報の一つです。

 こんな音色があるのね?あ、モチーフが変容した、もしかして〇〇を意識した?本当はこういう曲にしたかった? この響きを言いたかったのね? こういう世界観か?等々。様々な妄想を膨らませることができる情報を持つ演奏が良い演奏だと思うのです。あ、今日は調子悪って奏者の情報は不要ですよ。


9.スコアの「何」を読むべきか?

 ありたい演奏をこう定義した上で、スコアの「何」を読むのか? スコアを縦横斜めに読むとはどいういうことか? 結論から言うと、作品を様々な視点で捉えるということかな。

 例えば横に読む。旋律の受け渡しを頭の中で鳴らしてみる。どの音がきっかけになって和声が変わるかを感じる等。

 縦に読む。その瞬間の音域の広さ狭さによる緊張感の違いを捉える。強弱や立ち上がるバランスによって響きの混ざり方が変わることを知る。オケの配置から音の出てくる方向性や立体感を想像する等。
 
 斜めに読む。フレーズや和声の塊単位での時間の変化、モチーフの変遷を感じる。次の部分に移る必然性を探す。曲の最初の部分が最後の箇所を包含してること、個が全で全が個であることを理解する。疑問に思ったら、同じ作曲家の他の作品を読んでみる等。

 ここまでは、初合奏前までに演奏者が一人でできる大事な頭の準備体操だと思うのです。あらためてスコアの「何」を読むのか? そこに書かれた音符の意味、表情記号の意味、テンポ変化の意味、スラーのかかり方の意味、動機や構造、そんな全てを読み取り、作曲家の意図を推測することだと思います。

 長々と書き連ねたシリーズもこれで終わり。どこまで自分を追い込めるかは、その人次第なので他人と比べる必要はないと思います。でも同じ時間を費やすならば、これらを意識して少しでも成長していきたい、仲間とともに学び続け、昨日よりも良い演奏をしたい、忘れられない時間を体験したいと思うのです。

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真っ白いキャンバスになりたい [演奏]

ハイフェッツやグールド、チェリビダッケのように強烈な個性も確かに
必要かも。

でも、私は演奏者としては、「真っ白いキャンバス」でありたい。
自分自身の解釈や音が前面に出る必要はない。




もしかして器用貧乏なのかもしれないけど、その作曲家らしい音楽を
奏でることが一番だと思っている。それが自分自身の芸風なのだと思う。

長い時間と多くの聴衆や奏者という淘汰を経て、生き残った音楽作品。
その曲にあった、その作曲家らしい歌いまわしや音の処理があるはず。
それは、共通の財産だと思う。

自分自身を無にして、それを徹底的に表現したい。そこがスタート地点。
たとえ、それが最大公約数的で面白みに欠けると評されても。。。




どんなに楽譜を読み込んでも、読みこぼしがある。だから、一つでも多く
の演奏を聴いてみたい。自分自身の中に、血肉として音楽を吸収したい。
そして、自然な、誰からみても、その作曲家の作品らしい音楽を奏でたい。


そこがスタート。



そしてその結果が、自分自身の強烈な個性だと思いたい。。。

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3ヶ月をきって [演奏]

メト本番まで、3ヶ月をきった
まだ編曲もあがっていないが、シベコンソロの練習にはもう一時の猶予はない


そんな中で、今できる練習とは?
音はもうすでに取り終えた
運指も何度も工夫した
弦指定もいろいろなパターンを考えた



あとは、ひたすらゆっくりと、確実に、演奏できることを繰り返す
一定のテンポで、部分部分ではなく、滞りなく弾ききること
そう、7~8割のテンポで十分、否、そのテンポで必ず弾けるように
まずはそこができて、初めて土俵にのる

それがスタート




そして、、、、それがゴールかもしれない
それが出来なければ、音楽にはならない
評価の対象にものらない


メカニカルな動きをつかんでこそ、、、それができて初めて
自分自身の個性を考えよう
頭の中ではいくらでもシミュレーションできるのだから。。。


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たくさんのCDを聴くということ [演奏]

徹底的に違いを聴く。
テンポ、フレージング、アーテキレーション、バランス、音色、そしてリズム。

聴いて聴いて、さらに聴いて。
スコア見ながら聴き比べて。
部分で聴いて、全体で聴いて。

そして理由を考える。
わからない演奏はもう聴かない。自分にとって意味のある演奏は、10種類以上聴いて、せいぜい3種類くらいに絞られる。

それを何度も何度も繰り返す。自分にとって意味のある演奏は、何度聴いてもいつも新しい発見がある。

そしてようやく自分の引出になっていく。ようやくその作品の「しゃべり方」がわかってくる。


そこまでやらねば。
そこまでやらねば。
そこからがスタート。


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楽譜至上主義 [演奏]

演奏家にとって、楽譜はすべてであり、楽譜からすべてを読み取らねばならない

これを大前提とした上で、楽譜というものはあまりに不完全だ

楽譜に書かれているものは、ほとんどが相対的な指針であり、同じ記号が書かれていても、その前後関係などによって意味が変わって来る つまり解釈のない音楽演奏はありえない

作曲家が込めた思いのほんの何割しか表記されない はたまた、楽譜が書かれると言うこと自体、作曲家の一時点の思いでしかありえない 作曲家の心変わりまで楽譜は反映し切れないのだ

要は作品の解釈が、納得性のあるものなのかだ 説得力があるものなのかだ


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