真っ白いキャンバスになりたい [演奏]
ハイフェッツやグールド、チェリビダッケのように強烈な個性も確かに
必要かも。
でも、私は演奏者としては、「真っ白いキャンバス」でありたい。
自分自身の解釈や音が前面に出る必要はない。
もしかして器用貧乏なのかもしれないけど、その作曲家らしい音楽を
奏でることが一番だと思っている。それが自分自身の芸風なのだと思う。
長い時間と多くの聴衆や奏者という淘汰を経て、生き残った音楽作品。
その曲にあった、その作曲家らしい歌いまわしや音の処理があるはず。
それは、共通の財産だと思う。
自分自身を無にして、それを徹底的に表現したい。そこがスタート地点。
たとえ、それが最大公約数的で面白みに欠けると評されても。。。
どんなに楽譜を読み込んでも、読みこぼしがある。だから、一つでも多く
の演奏を聴いてみたい。自分自身の中に、血肉として音楽を吸収したい。
そして、自然な、誰からみても、その作曲家の作品らしい音楽を奏でたい。
そこがスタート。
そしてその結果が、自分自身の強烈な個性だと思いたい。。。
必要かも。
でも、私は演奏者としては、「真っ白いキャンバス」でありたい。
自分自身の解釈や音が前面に出る必要はない。
もしかして器用貧乏なのかもしれないけど、その作曲家らしい音楽を
奏でることが一番だと思っている。それが自分自身の芸風なのだと思う。
長い時間と多くの聴衆や奏者という淘汰を経て、生き残った音楽作品。
その曲にあった、その作曲家らしい歌いまわしや音の処理があるはず。
それは、共通の財産だと思う。
自分自身を無にして、それを徹底的に表現したい。そこがスタート地点。
たとえ、それが最大公約数的で面白みに欠けると評されても。。。
どんなに楽譜を読み込んでも、読みこぼしがある。だから、一つでも多く
の演奏を聴いてみたい。自分自身の中に、血肉として音楽を吸収したい。
そして、自然な、誰からみても、その作曲家の作品らしい音楽を奏でたい。
そこがスタート。
そしてその結果が、自分自身の強烈な個性だと思いたい。。。
2008-06-14 01:25
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