内容的には面白かったですが、うーん、どうしても「のだめ」をネタにした
便乗本と感じてしまいます。内容的にはほんといいんですけどねえ。。。
それにしても、ピアニスト@不良債権といわれてしまうと、プロもなんだか
なあ。。。
一つの作品を演奏するのに、その作曲家のいろいろな作品を聴くのは当たり前の
ようにやっていたが、次の視点はなかったかも。
思いっきり意訳すると(厳密には作曲時期の前後などいろいろあるけど)、、、
「ベートーヴェンの5番を演奏するのに、6番や9番などのことは忘れる。5番が
作られたときは、まだ世の中に6、7、8、9番などの作品は生まれていなかった。
作曲当時のそれまでの作品の集大成が反映されているのみ。後世の我々は
交響曲が9曲あることを知っているが、作曲した当の本人は、少なくとも作曲
時点ではそのことを知らない。」
ということで、ベートーヴェンの交響曲だけでなく、すべての作品において、
もう少し一曲入魂ということを真剣に考えて作品に対峙すべきなのかな?
それ以外で気になった言葉。
「音の事実を再現するだけ」
「頭の中の理想の音」と「現実に出ている音」との比較と瞬間的な調整
聖響さんの演奏はあまり聴いたことがなかったのですが、OEKのCDなど
少し集めてみようかな?
聴いて聴いて、さらに聴いて。
スコア見ながら聴き比べて。
部分で聴いて、全体で聴いて。
そして理由を考える。
わからない演奏はもう聴かない。自分にとって意味のある演奏は、10種類以上聴いて、せいぜい3種類くらいに絞られる。
それを何度も何度も繰り返す。自分にとって意味のある演奏は、何度聴いてもいつも新しい発見がある。
そしてようやく自分の引出になっていく。ようやくその作品の「しゃべり方」がわかってくる。
そこまでやらねば。
そこまでやらねば。
そこからがスタート。
まったくの空白期間を作ることも大事だけれども、
必ずいつかその時期は来る。一度来てしまったら、どんなに
悪あがきしても音楽が心に染みてこない。
回復には1週間のときもあれば、1ヶ月かかることもある。
ならば、この時期はひたすらインプットしよう。
次に取り上げる作品を聴きまくる。
今度はコンチェルトだから、おそらく数十種類の音源は聴くだろう。
骨と血に刻むだろう。
そして、まったく違う分野の作品も聴きまくる。
北欧だけでなく南欧の作品、スラブならばラテン、現代ならば古典、、、
自分の抽斗をひたすら広げるために。
自分の限界をひたすら超えるために。
自分の常識をひたすら打ち壊すために。
生まれ変わった気持ちで初めての練習日を迎えよう。
一番最初の聴衆は、ステージメンバーなのだから。
なによりも会場の音響に慣れること。
そして、楽器間のバランスの調整、発音の調整、音量の調整、、、
楽器の調整なんてのもありますね。
でも、一番は、本番の成功をイメージすること。
たとえ、失敗した箇所があったとしても、何かを伝えられれば、
演奏会としては大成功のはず。その熱意をマグマのように
燃えたぎらせること。スイッチを入れるということかな?
そして本番直前、何をみんなに言って、自分の想いを伝えるか?
最後の一言が大事。
さてさて、明日は何を言いましょうか?(もう心に決めました)
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指揮者?
作曲家? 編曲者?
聴衆?
オーケストラ?
作品そのもの? 瞬間瞬間の音?
自分の愛器? 培った音楽観?
どれも正しいけれど、私はまずは「作品そのもの」に仕えたい
「作品」が持つ魅力をありのままに、謙虚に伝えたい
だから、「いい演奏だったよ」と評価されるより、
「ほんとにいい曲だね」
って言われたい
そんな記憶に残る出会いを演出できたらと思うのです
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マンドリンの発音は、鳥の声に似ているかもしれない
基本的には短い点の集合体
それにしてもあの音の抜け、遠鳴りはなんだ?
小さな体に共鳴しているわけでもなく、大空に反響板があるわけでもない
それでも複式呼吸のような存在感がある音
遠くの声でも決して他に埋もれない音の輪郭
まっすぐに向けられた音の方向感
そんな生命の音を、いつの日か出せるようになるのだろうか?
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そう、それは当たり前の話。自分自身がコンサートマスターだから
オーケストラマスターではなく、オーケストラトップでもなく、
オーケストラリーダでもなく、、、
あくまでも「コンサート」マスターなんだよね
その対象は、コンサートにあって、オーケストラはあくまでもその手段
コンマスは、「コンサート」全体の責任を一義的に負うのだ
指揮者が一つ一つの音楽作品に対して責任を負うのに対して、
コンサートマスターは、1回1回の「コンサート」に対して責任を負う
一つ一つの「演奏」責任だけでは足りないのだ
指揮者とオーケストラとの橋渡し、翻訳者、現場監督、、、
そんな言われ方をするけど、
その対象は、究極的には「コンサート」そのもの
聴衆との一期一会をどう作り上げていくか、それがスタート地点だ
]]>感動は格差から生まれるとすると、お客さんには何らかの期待を抱かせなければならない
曲を知ってる、練習の過程を知ってる、作品の背景を知ってる、指揮者の狙いを知ってる、音の魅力を知ってる、他団体との違いを知ってる、などなど
むいてもらう関心の対象は異なっていたとしても、その日その時間に至るまで、何らかのドラマがないと、どんなに良い演奏を行っても薄い印象しか残らない
だとすれば、演奏家として、事前情報として、どんなドラマを提供すべきなのか? 感情移入させるためには、どんな作戦が有効なのか?
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